あゆマロの履歴書④

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こんにちは!あゆマロです。

履歴書記事もこれがラストです。

何度も挫折し続けた私が、どのようにして
再度ブログの仕組み作りに挑戦→21日という短期間で成功させたのか?

ぜひ最後までご覧ください^^

(前回の記事はこちらです)

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もう私には夢を語る資格なんてない。

そもそも今の生活(仕事)に不満もないんだし、中卒なのに安定した仕事を与えてくれる今の会社に感謝して働き続けるのが正解なんだよ。

コロナが流行して濃厚接触者になっても給料を満額支払ってくれたし、病気で長期療養のために休んでも、同じ給料のまま同じ店舗での稼働を確保してくれたじゃん。

自分を重宝してくれるそんな会社を、自ら離れるようなことしなくてもいいよ。

そうやって自分に言い聞かせて平穏な日々を過ごしていた。

2023年4月、かねてより決まっていた子宮筋腫の手術を受けることになった。

実はこの手術を受けるのは今回で2回目。

前回も、今の会社で就業している時に手術を受けた。

営業職の長期離脱は嫌がられることが多いのだが、会社は前回も今回も私の健康を第一に考えてくれた。

そして今回も

「元気に復帰されるのを待ってますね!」

「復帰せずに退職するとかやめてくださいよ?!(笑)」

「あゆみさんのために店舗の枠は僕たちが確保しておきますので!^^」

と、冗談を交わしながらも私が戻ることを心待ちにしてくれていた。

そして約1ヶ月半の療養を終えた2023年5月23日。復帰後初出勤。

店舗のみんなが「おかえりー!待ってたよー!」と大歓迎で迎え入れてくれた。

昔の私じゃ考えられないほど、みんなから愛をもらっていると感じる職場。

自分は本当に幸せ者だな。頑張ってきてよかったな。などジーンときた。

そして昼過ぎに会社の上司から電話が。


上司「復帰おめでとうございます!待ってましたよ!」

私「いやー!本当に長い間ご迷惑をおかけしてすみませんでした!」

上司「いやいやや!あゆみさん無事に戻ってきてくれて本当に良かった!」

私「そう言ってもらえて私もとても嬉しいです^^改めてこれからよろしくお願いしますね!」

上司「…あー。。。。それで、今回の電話はそのことなんだけど…」

私「???」

上司「復帰早々で本当に言いづらいんだけど…実は、そこの店舗の稼働枠、来月いっぱいでなくなります。。。。」

私「???????????…え???」

上司「いやーそうなんだよー。本当に申し訳ないんだけど。。。。委託元の決定であって、僕らではどうしようもなくて。。。」

私「え?え?え?どゆこと???」



上手く状況が飲み込めない私。

ただ、この人曰く

「再来月からあなたの居場所はそこにはありません。自分にはどうすることもできません。他の店舗に行くか仕事辞めるか決めてください。」

こう言っている。

復帰してからも絶対枠を空けておく、と言っていたこの人が、復帰した早々、あなたの居場所はもうありません、と言っている。

40ヶ月連続で営業目標を大幅達成させてきて、店舗に貢献してきたはずの私が、もうこの店舗には必要ないと言っている。

そして、辞めてもいいとまで言っている。

めちゃくちゃ葛藤した、なぜ自分が?こうならないために毎日必死に数字を追いかけてきたのに。

上司がどれだけ労いの言葉を取り繕っても、理解が追いつかなかった。

そして次に出た感情は怒りだった。

会社に感謝していたのは私だけだったんだ…

私がいくら実績を積もうが積まなかろうが、私が使い捨てのコマだったんだ…

裏切られた気持ちしかなかった。

この電話で、私の中の会社への「信頼」というものが一気に崩れ去った。

ただ、まだ1つのチャンスはある。店舗異動だ。

私「どこの店舗ですか?」

上司「〇〇店です…」

私「………」

そこは往復100km、渋滞も考慮して約3時間の通勤場所だった。

あまりにも現実的じゃなさすぎる。

てか、ここまで貢献してきて、かつ「枠を確保しておく」と言っていたはずなのに、復帰して早々あり得ない。

「わたし、辞めます」

この言葉が言えたらどんなに楽だろうか。

でも、今辞めることを決断したら、またニートの可能性しかない。

「しばらく考えさせてください」

この言葉だけが、今の私にできるせめてもの、精一杯の抵抗だった。

それから彼に相談、母に相談。

仕事なんてしてる余裕はなかった。

怒りの感情を抱いたまま「もうこんな会社辞めてやる!!」と思い、その日から転職活動をスタートさせた。

37歳。これが最後の転職になると思った。

自分の本当にやりたいことに本気で向き合った。

そして同時に、自分の今までの人生、これからの人生とも本気で向き合った。

それは、37年間、ずっと避けて通ってきたことだった。

しかし、この作業を通して「自分」というものを見つめることができた。

私は営業の仕事が嫌いだ。自分が心から提案したい物、サービスではないのに、お金の為にそれを売らなきゃいけないことがどうしても苦痛だった。

だから無理販(お客さんが必要のないものを無理やり買わせる)はしないと心に決めて営業をしてきた。

そして逆に私は人に何かを教えること、人をサポートすることが好きだ。

自分を信じて相談したり、話をしてもらえる。私の意見やアドバイスを聞いた人たちが成果を上げることに大いに喜ばしい気持ちを抱いた。心から嬉しい気持ちになれた。

学歴のない私は、学歴不問の会社の中から「飲食業界のエリアマネージャー」という職種に目を付けた。

応募企業8社→うち書類選考5社→全社とも一次面接突破→うち2社は自ら辞退→最終面接の切符を3枚手にすることになった。

その中で、どうしても「やりたい!」と思える会社が1つあった。

転勤なし、全国の店舗を飛行機や新幹線で巡回、基本はリモートワークというものだ。

「飛行機で出張」なんて、私の夢見ていたキャリアウーマン以外の何物でもないじゃないか。もうすぐ私の長年の夢が叶う。

満を持して最終面接に挑んだ。

拍子抜けするほど和気あいあいとした、面接とは言えないほどリラックスした空気がそこには流れていた。

「私はこれが最後の転職だと思っております。学歴がなく、飲食店でのエリアマネージャーとしての経験がない私であっても、採用いただけるのであれば、自分の実力を発揮し、会社の中で昇れるところまで昇り詰め、御社に貢献してまいりたいと考えております。」

面接官は大きく頷き、私の言葉に共感を示してくれていた。

(この人たちと働きたい) そう思った。

しかし面接官から次の言葉が出た瞬間、私の中の何かが崩れた。

「転勤はできますか?」

(いやいやいや、転勤なしだからこの会社選んだんやん。。どゆことー?!話が違わんかー?!)

でも…普通に考えたら転勤しないと上に昇り詰めることなんてできやしない。

自分自身、言ってることめちゃくちゃやん…と思いながらも、その場を取り繕った。

「1週間以内に合否の連絡をします。」

しかしその1週間が、地獄だった。

仕事が変わるかもしれない、最後の就職をするかもしれない、今の仕事を変えずに毎日往復100kmの道を選択するかもしれない…

人生の大きな分かれ道に立っている最中、同棲中の彼氏と大喧嘩をしたのだ。

「もう出ていく」「実家に帰る」そう伝えて次の日から荷物をまとめ出した。

母にも「家に戻る」と伝えた。

本当は実家に戻りたくなかったが、急なことでこれからの人生もゆっくり考えたかったから、“とりあえずの避難場所”として実家を選択した。はずだった。

あくる日、母から電話が掛かってきた。

「今の賃貸を解約して、もっと大きなところに2人で引っ越さない?」

この人は何を言っているんだ?

というか、その言葉は今の私が一番聞きたくなかった言葉だった。

これからの人生を選択する大きな岐路に立たされている私に

「仕事のことはとりあえず置いといて、私とあなたの2人で新しいところに住みましょう」という提案をしてきたのだ。

私は母のその無神経さが受け入れられなくて、私の中の全ての不満が一気に爆発して頭がおかしくなった。

車の中で泣き叫び、ハンドルをガンガン殴る。足元のマットを蹴って、助手席のペットボトルをシートに投げつけた。

それでも不満は収まりきらず、自分を傷付けることで少しだけ落ち着きを取り戻した。

同時に「自殺する人は、こうやって衝動的に実行に移すんだな」と、今まで理解できなかった人の痛みを学ぶことができた。

それから3日間は、自分が自分じゃないような感覚で不遇な日を過ごした。

自分は何者?どうなりたい?何をしたい?誰といたい?

「仕事がなくなる」という電話をもらった5月23日に考えた時とは比べ物にならないほど真剣に、自分という人間、自分の人生に向き合った。

そして、最終的に自分が選んだ道は、往復100kmの今と変わらない仕事だった。

新しい職場は2日も経たず苦痛を強いられた。

転勤がイヤで転職するのを辞めたのに、結局毎日100kmの道のりなんて家に居ないのと変わらない。

しかも異動先は大所帯のため、営業をして華々しい成績を収めてきた私の経歴を無視するような、単純作業を頼まれる。誰にでもできる仕事。必要とされていない感じ。アウェー感。冷たい空気、よそ者感、知り合いもいるけどコミュニティに入っていけない。コミュ障の弊害。

そしてそもそも、この仕事・この店舗にいつまでいられるか分からない、いつ首を切られるのかもわからない恐怖。

でも大丈夫。これは一時的なもの。私が決めた、私が進むべき人生はこれじゃない。

私は、やっぱりブログで生きていくと決めていたからだ。

37年間逃げ通し続けた先に見つけた答えは、会社に頼らず自分の力で生きていくことだった。

本当の私は自分の考えがはっきりしていて、それを表現することもアピールすることも得意なはずだった。

「自分は何者にでもなれる」

小学生の頃は本気でそう思っていた。

でも、学校でイジメに遭い、人間不信に陥り、学歴もなくフリーターでバイトを4つも掛け持ちし、自分の意見を言うのが怖いからとみんなにいい顔をして、何もかも穏便に過ごしてきた。

自分が犠牲を払えば悪目立ちすることもないし、イジメられたりハブられることもない。

波風立てず、穏便に、穏便に。。。

でももうこんな人生まっぴらごめんだ!

私は私の足で自分の人生を切り拓いていく。

やりたいこと、やりたくないこと、行きたいとこ、行きたくないとこ、一緒に居たい人、居たくない人、欲しいもの、行きたい場所、言いたいこと、何もかも我慢しない人生を生きていく。

私の人生は、まだまだこれからも無限の可能性を秘めている。

そのためにこのブログを発信していく。メルマガを発信していく。

そして、私と同じ思いを抱く人を見つけて助けたい!サポートしたい!一緒に歩んでいきたい!

これが紛れもない私の全てであり、私の理念だ。


この棚卸しをしたのは、仕組み作りで人生逆転チャンスを掴むと決めて6日目のことでした。

それから15日後の今日、履歴書としてこの文章を書いています。

人間、やろうと思えばいつからでも挑戦できます。

本当に成功したいと思えば何だってできるんだと、今回の21日間で学ぶことができました。

まだ小さな小さな仕組みしかないけれど、必ず成功させて見せます。

「自分の望む人生を自らの手で掴む。」

これを読んでくれたあなたも、私と同じように、なりたい自分にチャレンジしてもらえれば嬉しいです。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました!!^^


P.S.
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少しでも興味が湧いたら、ぜひ登録して見てみてくださいね!

それでは^^

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