こんにちは!あゆマロです。
ここからは履歴書③です。
初めての場合は①から読んでみてくださいね!
それから約2か月後、本業の仕事において、一番の繫忙期に差し掛かった。
エリアマネージャーとして担当した店舗では、オープン以来初の大きな実績を叩き出し、順風満帆に見えた矢先のことだった。所属長から突然の呼び出し。
「正社員になるための試験を受けないか?」
嬉しかった。今まで頑張ってきたことが全て報われる、キャリアウーマンになるという自分の夢が形になる一歩手前まで来ていた。
しかし、その夢は、決して現実にはならない夢のまま。
なぜなら私は中卒だから。
中卒は正社員になれない。
どれだけ苦しくても辛くてもそれが現実だった。
自分の生きてきた道は間違いだらけだったのだと、その時私は自分で自分を呪った。もうどうにでもなれ、って感じだった。
このままこの会社にいても、契約期間が満了を迎え、雇用契約が終了するだけ。
しかも、今の上司(2個上の女)とはどうもウマが合わない。
毎日の仕事が苦痛で苦痛で仕方ない。。。
だったら叩き出した実績の鮮度が高いこのタイミングで、思い切って別の会社に転職してしまおう!と考えた。
この考えは上手くいった。
今までに叩き出した実績をアピールポイントとして、別の通信会社のエリアマネージャーとしての内定をいただくことができたのだ。
それも、今の年収より150万円も多い金額で。
清々しい気持ちで会社に辞表を提出し、有給消化で10日間のヨーロッパへの旅行を計画していた。
ちなみにこの旅行もカードの分割払いで計画していた。
35万円の旅行代を月2万円の分割で1年半の計画だ。
1週間後にはヨーロッパ…
憧れた国の数々…
それがもうすぐ現実になる…
8月の出来事だったのだが、夏のヨーロッパは日照りが厳しくても、日陰に入ればめちゃくちゃ涼しい気候だと聞いていた。
蒸し暑い日本で、さんさんと輝く太陽と青い地中海に思いをはせて、抑えきれない気持ちに興奮しつつ、毎日楽しみすぎて寝られない日々が続いた。
数日後、1本の電話が掛かってきた。
「内定を出していた案件なのですが、当社での業務が終了してしまいまして…」
??????
意味が分からなかった。
とっさに聞き返した。
「え?どういうことですか?」
「いやぁ…その…本当に申し上げにくいのですが、内定していた業務自体が無くなってしまったので、当社で働いていただくことができなくなってしまったんです。本当に申し訳ありません。」
電話の向こうで土下座をしているかのような、申し訳なさがひしひしと伝わってくる謝罪の電話だった。
「あー…了解です。はーい、失礼しまーす。」
いつもは丁寧な言葉を使うように心がけている私も、今回ばかりは何一つ気を遣うことができなかった。
なぜなら来月からニートだからだ。
優雅なヨーロッパ旅行から帰ったら、私はニートになる。
現実を受け止めることがどうしてもできなかった。
それでもこの時点ですでに残り22日しかなかった。
しかもそのうち10日はヨーロッパにいる。
旅行に出掛けるまで残り7日しかなかった。
電話を切った後、すぐに現実に引き戻されて、転職活動を再開した。
週5日働けて、今と同等の給料がもらえる仕事を見つけたら、手あたり次第に応募、応募、応募。
しかし、なかなかうまくいかない。
なぜなら自分のプライドが邪魔していて「通信業界のエリアマネージャー職じゃなきゃ嫌だ」と思っていたからだ。
エリアマネージャーなんてそう多く存在するものでもないし、空きがなければそこに入り込む隙間もない。しかも私には中卒という足かせもある。
いざ面接に行っても
「他に決まりました」「中卒はちょっと…」と断られる日々。
そんな中、ヨーロッパに行く2日前の8月13日に相談に行った派遣会社で「あなたにピッタリの仕事がありますよ」と、仕事を紹介してもらった。
エリアマネージャーではないが、携帯ショップを巡回する仕事だった。
時給もまぁまぁ悪くない。
その場ですぐに担当の事務局長と面談をした。
こちらの心象は可もなく不可もなく、といったように見受けられた。
しかし問題はここからだ。
事「もし採用となった場合、いつから働けますか?」
私「現在の仕事の有休消化が月末までなので9月1日からお世話になりたいと考えています」
事「来月あたまからですか…うーん」
私「何か不都合がございましたか?」
事「枠の関係で、就業開始可能日は9月16日からなんです…」
私「あっ…(終わった。でもここで断ればまた一から出直しだ。どうしよう、どうしよう。。)」
私「16日からでも可能です^^ぜひよろしくお願いいたします!」
こう言うしかなかった。
事「分かりました。それでは、今回の合否結果は、改めて8月24日までにご連絡致します。本日はありがとうございました。」
あ、結果は今日教えてもらえないんだ…
でも、自分の言いたいことは全て伝えられたし、もう後は天に任せるしかないよな…
それからヨーロッパに旅立つまでの2日間も、毎日仕事を探し続けた。
そして、旅行はもう行くって決めたんだし、今後のことは考えないように、10日間思いっきり楽しもう!!と思い、一旦ニートになる未来は考えないことにした。
そして運命の8月24日。
日本に帰国して数時間後に電話が掛かってきた。
「ぜひ弊社で働いていただきたいと思います」
採用の電話だった。膝から崩れ落ちた。そして電話を切った後、泣いた。安堵の涙。
しかし、本当の苦悩はこれからだった。
有休もない、貯金もない、ローンも残っている、家の家賃も光熱費も払わないといけない…
こんな状態で、9月16日までのたった半月間でさえ、無職でいることが恐怖でしかなかった。
仕事を探さなければ、仕事、仕事、仕事…
でも、前回の転職活動より、状況ははるかに厳しかった。
なぜなら、私が働けるのは8月25日~9月15日までのたった21日間。
土日ならイベントの仕事もぽつぽつ見つかったが、土日だけだとよくて6日しか働けない。
これじゃあ何の足しにもならないよ…
ローンを組みまくった自分の計画性のなさに呆れた。
でも嘆いている場合ではない。とにかく必死に仕事を探した。
ようやく見つけた仕事は、
・パチンコ台の新台検査
・百貨店の催事イベントスタッフ
だった。日雇い労働者としての働き口。
有難いことに、百貨店のイベントが平日も通しで行われる予定だったため、平日もくいっぱぐれることなく、ようやく働ける場所を見つけることができたのだ。
パチンコの新台検査の仕事は3日働く予定だったが、苦痛以外の何物でもなく1日で断念。代わりに同じ会社の紹介でコンサートの警備スタッフの仕事を紹介してもらった。
行き帰りの電車賃さえもったいなく感じ、家から4駅歩いたり、夏場だったが具のない塩おにぎりを2つ握って、仕事の行と帰りに歩きながら食べて空腹をしのいだ。
担当したコンサートはAAAだったのだが、宇野実彩子という人が私と同じ年齢の女性だった。
大きなドームに1人で立ち、マイク越しに話す度ファンからの声援を受けていた。
同い年の私はニートの崖っぷちに立ちながら、真っ暗なドームの5階席で警備の仕事をしている…悔しさが滲んだ。
百貨店のイベント会場でも先輩から酷く冷たい態度を取られたこともあったが、「すぐ辞める仕事だから」と我慢で乗り越えた。
それからようやく新しい仕事に就き、安定した生活を続けていた。
一生懸命仕事に打ち込んでいたのだが、そこで好きな人ができた。
彼は私より何個も年上で、途中から直属の上司になったのだが、何度となく喧嘩をしていた。
でも、何だかんだ頼りになるし、後輩思いで素敵な人だった。
あるとき、事務局長とお取引先の女性と4人で飲みに行く機会があったのだが、その時、私はあり得ないほど酔っぱらっていた。
この時までの私は彼のことが気になる程度だったが、この飲み会に参加した日、私の中で彼の存在がとてつもなく大きくなっていたことを理解した。
ただ、この時の私は彼氏がいた。3年付き合っている彼氏。
めちゃくちゃ悩んだ。営業の仕事で悩んでいた時もずっとそばにいてくれたし、仕事がない時もずっと寄り添いサポートしてくれていた。
そんな彼を裏切ることなんて私にはできない。
でも先輩を好きな気持ちに蓋をすることもできない。
イオンの駐車場でワンワン泣いた。
胸が張り裂けるほどの気持ちになるってこういうこと言うんだな、ってなぜか冷静な自分もいたのを覚えている。
約1ヶ月、悩んだ末に出した結論は、彼と別れて先輩に告白するということ。
彼に別れを告げるのは、本当に苦しかった。
きっと彼も私の出すであろう答えを察していたと思うが、それでもやっぱり辛かった。
本当に辛かったのは彼のはずなのにね。
「あゆちゃんが決めたことなら受け入れるよ。今までありがとう。」
拍子抜けするほどあっさりと、私の気持ちを尊重する彼らしく私のことを1番に考えて出してくれた答えだった。
そして、先輩にいざ告白。
―――私は昔から何に対しても「予防線を張る」性格だ。
たとえば恋愛依存症の時も「もしかして捨てられるかも?」と思ったら次の男性にアプローチを開始していたり、
バイトを掛け持ちしていた理由も「シフトに入れなかった時、他で賄うことができるから」。
転職するときも、必ず「次の仕事の内定をもらってから」だった。
(最終的に内定取り消されたけど…)
だから今回の告白もそう。
彼のことが好きな気持ちは紛れもない事実だったが、彼と別れても先輩と付き合える自信があった。だから彼と別れてすぐに告白したのだ。
そして先輩から出た答えは
「今は無理」
なんにでも予防線を張り続けてきた私の期待が、またもや裏切られた瞬間だった。
先輩には他に好きな人がいた。
そしてもう一つ。
私が太っていることで女としての魅力を感じないと言われた。
学生時代の嫌な記憶が小学校、中学校、高校と鮮明に蘇ってきた。
私が太っているからダメなんだ。
私が太っているから何もかもうまくいかないんだ。
太ってなかったら高校を辞めることはなかったし、恋愛依存症にもなってなかった。
太ってなかったらちゃんと学歴を作れてたし、夢のキャリアウーマンにもなれてた。
そしてこの恋愛も上手くいってた—――
そこから食べることが怖くなり、鏡を見ることもできなくなった。
だけどこのままじゃいけないと思い、3ヶ月で10kgのダイエットに成功。
自分の頑張りを認めてもらうことができ、晴れて先輩とのお付き合いが始まり、それからすぐに同棲も始めた。
そして、それから約半年後、彼が人生最後の転職を決めたことで、私も同じく会社を退職することに。
同じタイミングでまたもや知り合いから「いい仕事があるよ」と、しばらく離れていた携帯電話販売の仕事を持ちかけられ、好条件を提示いただいたことで転職することに。
前回の転職とは比べ物にならないほどとんとん拍子に話が進んでいった。
彼の転職先の関係で県内の別の場所に生活拠点を移すことになり、私も稼働店舗を異動することになった。
新しい家に、新しい職場。
新鮮だったがやはり見えないところでの心労もすごかった。
でも彼が付いてくれていることが何より心強かった。
新しい環境にも慣れてきた頃、
「同棲も長いしそろそろ結婚かな~」と思い始めていた。
営業でバリバリやっていた私は、ずっと家にいたりパートだけの仕事をする主婦になるのがイヤだった。
「そうなったとき、私は今の仕事をいつまでつづけるんだろうな~」と考えた。
そんな時ふと、数年前に頑張っていたアフィリエイトの存在を思い出した。
「彼とも同棲して結婚する可能性もあるし、うまくいってる恋愛のブログでも立ち上げてみようかな?!」
「成功すれば、今後の人生これで生きていける…!」
そう直感し、数年ぶりに改めてブログについての勉強を開始した。
しかし、そううまくはいかなかった。
昔の私を思い出してほしい。
なぜ昔の私は、ブログを中途半端に辞めてしまったのか。
自分には知識がなく難しかったからだ。
それでもなんとか必死に食らいついて、新しい教材を何個も買い足したりしてブログで生きていく未来を夢見て精一杯の努力をした。
しかし、結局挫折した。なぜなら、彼との恋愛が不安定で上手くいっていない時期が多々あったからだ。
私が立ち上げようとしていたのは恋愛ブログ。
恋愛ブログは基本「幸せな恋愛を送っている人がその秘訣を教えてナンボ」の世界だ。
それなのに、浮き沈みの激しい恋愛をしている私が、安定したブログを提供できるわけがない。
アメブロやTwitterで見る恋愛ブログの発信者はみんな幸せそう…
なのに私は今日も彼氏とケンカしてる…
私なんかが発信して、誰の役に立てるというのだろうか…
今回は、何とかかんとか仕組みを作り、自分の教材まで作成したのに、結局またもパソコンから遠ざかることになってしまった。
日雇い労働者になったのは、この時の経験が最初で最後です。
今でも鮮明に覚えているほど、辛く苦しい経験でした…
特に私の場合は、営業として優秀な成績を収めてきたという自負があったので
尚のことしんどかったですね…まぁ、プライドが高かったってことです!
そして先輩との出会い、告白、挫折…
さらに、無事成就したと思った矢先の絶えない喧嘩の日々…
私のブログ成功の道はとてつもなく遠い物でした。。。
最後の④では、そんな私がたった21日間で仕組みを作り上げることに成功
するまでの道のりをお伝えしようと思います。
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