あゆマロの履歴書①

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こんにちは!あゆマロです。

まだこのブログを始めて間もないので、

私のことをより深く知ってもらえれば思い、

今回この記事で「あゆマロの履歴書」を書いてみました!!

生まれてから今に至るまで、私が一体どんな経験をしてきて、

どんな考えを持って生きてきたのかが少しでも知ってもらえたら嬉しいです^^

ちなみに37年分ともなると結構長いので、4部構成でお話していこうと思います。

もともと自分のことをより良く知るために書いたものなので、

「です・ます表現」はナシでお送りします。

時系列になっているので、①~④の順番で見てもらえると分かりやすいです。

それではどうぞ~^^


1986年、父母兄のいる家庭で4人目の家族として生まれる。

父は高校を中退しつつも、フランチャイズチェーン店のお弁当屋を営み、
私たち家族が住んでいるアパートの下で正月の1月1日以外、年中無休で働き続けた。

母はそんな父と一緒に弁当屋を手伝い、毎日仕事と家事の両立で忙しい毎日を過ごす。

しかし、「弁当屋だからって、栄養のない食事を取らせたくない」という母の強い信念のもと、
私と兄は母の温かい手料理ですくすく成長していった。

生まれた時から体が大きく、小さい時からそれがコンプレックスだった。

小学校2年の夏休み、忙しい両親を助ける意味も込めて、約1ヶ月の間、祖父母の元で過ごした。

食べたいものを食べたいだけ、食べたい時間に摂取してきたことで、
1ヶ月後の私は肥満児になって帰ってきた。そこからは成長期も相まって、どんどん太っていく。

学校というのは面白いもので、「特異なものをからかう」性質がある。

太っている私自身が、その特異ということだ。

「デブ」「ブス」「紫式部」「平安時代に生まれてれば、モテモテだったね!」

からかう言葉その1つ1つが、思春期の私にはとても辛い言葉の数々だった。

兄には
「お前が妹だと思われるのがイヤだから絶対話しかけんな!俺が兄貴だってことも絶対言うな!」
と散々言われ続けていた。

話したこともない、クラスも学年も知らない人たちから通りすがりにクスクス笑われる毎日。

通りすがりに「デブは邪魔なんだよ」「四足歩行してない豚がいる!」など、心無い言葉を散々浴びてきた。

しかし、そんな学校生活の中でも、仲良くしてくれる友達は比較的大勢いて、中学生の私は毎日、楽しさと我慢の狭間に立っていた。

中学3年生。進路を決める頃。

私はキャリアウーマンになりたい、という漠然とした夢を描くようになっていた。

英語を使い、海外へ出張し、空港の“歩く歩道”をキャリーケースとケータイ片手にスーツ姿で颯爽と歩く…そんな女性になりたかった。

だから、本当は海外に精通しているような、国際的な思考が学べる学校に行きたかったのだが、私の学力で行けるのは私立しかなかった。

「そんな学校に行かせる余裕は、家にはありません!!」

母からの強い言葉だった。

ちなみにその頃、兄は自分の希望する私立の高校に通っていた。

「男の子なんだから当たり前でしょ!!男と女は違うの!そもそもキャリアウーマンってなに!もっと勉強ができるようになってから語りなさい!!」

母のその言葉は、キャリアウーマンになりたいという私の夢を、男女の違いという単純だけど納得のできない理由で潰された気がした。

ちなみにここで感じた違和感は今でもずっと感じている。

そして、この時点ですでに人生諦めモードになっていた私が最終的に選んだ道は、

「公立の商業高校」だった。

その高校を選んだ理由は

筆記試験なしでほぼ100%誰でも入学できるから。

単純明快な理由。

誰でも受かる高校だから、もちろんのこと私も合格。あっさりと入学することが決まった。

しかし、高校に入って始まるのは「知らない人たちが集う新しい学校生活」である。

小学校、中学校で嫌というほど浴びせられてきた辛い言葉の数々。

そんなからかいの言葉を跳ね除けるため、高校に入る頃の私は「精神的に強い自分」という“仮面”をかぶることで、自分自身の心を守ることにした。

いよいよ始まった高校生活。

この頃、親の弁当屋が結構儲かっており、地元でも有名な高級住宅街に新しくできた新築の分譲マンションに住んでいた。

そして、私を私立の高校に入れることができないはずの親たちは、1000万円近くする高級車に乗っていた。

仮面を身に付けた私は、そんな親の「お金」を、自分のアピールに使うことにしていた。

「うちの親、〇〇って高級車乗ってるんだよね~」

「うちの家?〇〇にある新築のマンションだよ。最上階ってわけでもないし、別に普通だよ~wそんな金持ちじゃナイナイ~w」

「今度テストでいい点取ったらシャネルの財布買ってもらえる約束したんだ~」

こんな同級生、どう見ても嫌われる。

今なら分かる普通の感覚も、その頃の私は仮面が邪魔して何も見えていなかった。

そんな生活を数か月続けているうちに、先輩に目を付けられるようになった。

「お前調子乗ってんじゃねーぞ」

「デブスのくせにうぜぇんだよ」

「消えろ」「醜い」「キモイ」「眼中に入ってくんな」

知らない相手から唐突に発せられる言葉は、いくら仮面をかぶっていても受け入れがたいもので…

それからは、同級生からの風当たりも強くなり、今でも鮮明に覚えているエピソードがある。

私がトイレに入ったのを間違いなく見ていた2人組の同級生が、

「そういえばF組にアユミっているじゃん?あいつマジウザいよね~」

(えっ私のこと?え?私がトイレ入るの、今鏡越しに間違いなく見てたよね?!)

「分かる~デブのくせにスカート短くね?w」

「そうそうそう!太い足見せんな!って感じだよね!!」

(いやいやいや…膝より少し短いぐらいだし…)

「てかさー、一重のくせに化粧してもブスが目立つだけだっつーの!」

「確かに!生きてて恥ずかしくないのかな?」

(そこまで言われる理由って…なに。。。)

私の悪口はまだまだ続いていた。

それでも負けたくなかった私は、意を決してトイレから出て、彼女たちが占領していた手洗いに割り込むように入って手を洗い、仏頂面で出て行った。

「クスクス……ウッザwwww」

あの言葉は今でもトラウマです。

それからは成績も落ち込み、学校に行くことも怖くなり、休みがちになっていった。

休みがちになっても、心配してくれる友達はおらず、そもそも私が接していた同級生は、誰一人友達ではなかったようだ。

それに気付いたときには精神の限界で、見かねた母は

「この学校に行くことがあゆみの為になるとは思えない」

そう言ってくれて、私は高校2年生の12月、高校を中退する道を選んだ。

しばらくの間は、高校時代から働いていたバイト先の和食屋でフリーターとして働いていた。

そこの先輩に「ぶっちゃけ、高校辞めてくれてよかったと思ってる。」と言われた。

なぜ?私のことを心配してくれていたのかな?

ふとそんなことが頭によぎり、真っ先に「どうしてですか?」と聞き返した。すると

「そりゃ、シフトの穴埋めてくれるからに決まってんじゃんw」

これを聞いたとき、「あーもう誰も彼も、自分たちのことしか考えてないんだなー」と絶望したのを鮮明に覚えている。


ん~自分で言うのもナンですが、なかなかしんどい学生生活を送ってきましたね~^^;

今思えば「そりゃ嫌われるよね」と思う行動もたくさんあったけど、
当時の私にはそんなことを考える余裕もなかったんでしょうね…

それでも今、こうしてあなたにこの話ができるほどのある意味「思い出」になって
良かったと思っています。


さて、次の記事では私が学校を辞めてフリーターとしてたくさんのバイトを
掛け持ちして働くことになってからを話していきたいと思います。


こちらから飛べますので、よかったらどうぞ^^

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